株式会社STSデジタル

#6 ファンは第3の仲間

社長の目タイトル画像

先日、本社の法務部の方とやり取りをする機会があったとき、このコラムをいつも読んでいると言ってもらえた。

また、令和6年能登地震と金沢の現状を受けて動いたYahoo!ニュースの記事を偶然読んだ本社の専務から、弊社と私の名前が出ていたことに驚いたと言葉を頂いた。

正直、驚いたのは私のほうだ。

というのも、これは設立まもない会社代表のコラムに過ぎない。

親会社とはいえ、社外で見ている人がいるという事実を嬉しく思うと同時、気を引き締めて発信していかないといけないと感じた。

ファンとは何か

驚いたことは事実だが、何かを発信し行動を為す以上、ファンの登場は必然で、その存在は必要不可欠だとも言える。

そもそもファンは「熱狂的な(fanatic/ファナティック)」の略語だ。つまり自分の何らかの活動を熱狂的に支えてくれる人々のこと。

もちろん、明確に声をあげたり、感想を届けてくれる人々だけがファンなのではない。
ただ黙々と、更新されるたびに本コラムを読んでくれている読者もまた、大切なファンである。

言うまでもなく、ファンの存在は何か行動する上での支えになる。期待や応援をされることがモチベーションに繋がることは多い。
しかしそれだけではなく、私は今回、読者の存在を目の当たりにして、人がこのコラムのどこに共感し、どんなことを期待してくれているのかを知ることができた。

こんな話を社内でしていたところ、社員から「エンタメ業界には”ファンダム”という言葉がありますね」と言われた。
これは「ファン」と「キングダム」の造語で、熱烈な支援者によって形成されたコミュニティや文化のことを指している。

情報発信やアクションはもはや一方通行ではない。本コラムのようなコンテンツも、アイドルやスポーツも、そして企業も、ファンとともに形作られる文化のなかで成長していくものなのだ。

ファンを見つけ出す

ファンとの交流は、私たちにとって単なる喜びだけでなく、新たな発見を生む重要な機会となる。
ならば、熱心かつ律儀なファンが自ら声を届けてくれるのを待っていては遅いと、私は思う。

ファンは単なる縁の下の力持ちではなく、共に手を取り合い、文化を育てるために欠かすことのできない仲間でもあるのだ。
常に考え、動き続けることでファンを作り続けていくのは、情報を発信し、コンテンツと価値を生み出す我々の使命でもある。

しかしそれに留まっていては未来は切り拓けない。

我々は、我々を見つけてくれたファンを今度は自ら見つけ出し、共に成長していくことも忘れてはいけない。

……ここまで考えて、私は本コラムと読者を分断する致命的な欠陥に気づいた。

取り急ぎ、このコラムに「いいねボタン」や「SNSシェアボタン」を実装しようと思う。

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