株式会社STSデジタル

#5 情報の重みを考える

社長の目タイトル画像

前回、金沢出張に行って目の当たりにした、観光地にも関わらず閑散としてしまった金沢市内の様子について触れた。

テレビなどのマスメディアでは、連日、震災の状況を伝える報道が続いている。
そして、それはある面では事実であり、情報として発信されなければならないものだ。

しかし表面的にはごく普通に流れているにも関わらず観光客が離れている金沢の風景を実際に目の当たりにすると、
メディアの一端に携わる者として、マスメディアの報道が与える影響の大きさと情報発信に伴う責任の重さについて、
改めて考えさせられる。

どんな情報を発信するにせよ、我々が肝に銘じなければいけないのは、
我々が情報として扱うそこには必ず生きた人々がいるということだろう。

思い立ったらすぐに動く

金沢の状況を目の当たりにして、我々にできることはないかと考えた。

もちろん個人レベルでの募金はやっていて当然。
そうではなく、メディアとしてできることはないか。

答えは明白だった。

私はすぐさま商工会議所に連絡し、金沢で暮らす人への取材を行った。

観光客が激減 金沢に戻らない“活気” 「実害がないのに助けを求めていいの?」「自分たちは被災者なのか」ゆれる割烹店主の思い(まいどなニュース) – Yahoo!ニュース(新しいタブで開く)

そこでお話頂いた内容については、ぜひ記事を読んでほしい。

もちろん記事に書いたことが金沢の人々のすべてだとは言わない。
だが、間違いなく金沢で生きる人の肉声の記録である。

取材を終えて

賑わうはずの近江市場近くも人はまばらだ

記事のなかでも”被災のグレーゾーン”という言葉を使ったが、これは情報を受け取る我々の態度にも通ずるものである。

というのも、現実は時に文芸のように、受け取り手によって解釈が分かれる。

たとえば、観光業が大変なら金沢に行こうと思い立つ人もいれば、
安全だと言い切れないのなら金沢に行くのは控えようと思う人もいるだろう。

グレーゾーンにいる曖昧な意見をささいなきっかけでどちらか一方に傾かせる可能性は、どんな情報も孕んでいる。

もちろんどちらが正しくてどちらが間違っているわけでもない。

また、どちらかを促す意図がある内容の記事ではないが、
受け取り手に解釈された結果として発信した情報がどちらの流れに加担したとしても、
私には本当の意味でその責を負うことはできない。

情報はかたちがなく多様で、だが重い。

前回、マスメディアの報道の在り方についてやや批判めいたことを書いたが、グレーゾーンの現実に触れ、
メディアとしての立場を決めて情報発信しなければ成り立たなくなってしまうということもよく理解できた。

これは我々が発信する側に立つ以上、影のように永遠につきまとってくる問題なのだ。

観光客が激減 金沢に戻らない“活気” 「実害がないのに助けを求めていいの?」「自分たちは被災者なのか」ゆれる割烹店主の思い(まいどなニュース) – Yahoo!ニュース(新しいタブで開く)