はい、死語ですね。もうタイトルから既に非トレンド感がにじみ出てますね。
お久しぶりです。小梅です。
過去回を見直すと2ケ月ぶりの登場ですが、僕が他案件にかかり切りになっているあいだに、この社長ブログのスペシャルコンテンツとして興味深いインタビューが公開されていました。
久しぶりなので、アイスブレイク替わりに裏話をひとつ。
この記事、いたって真面目な顔でインタビューしてるように見えますが、始まりはしょうもない雑談でした。
祢津「最近、『不適切にもほどがある!』っていうドラマが流行ってるみたいですねぇ。
それに便乗して、各社、昭和、平成のリバイバルを仕掛けてるらしいですよ」
谷宮「なんかさぁ昔、カニって書いたシャカパンはいたヤンキーいなかった?」
祢津「KARL KANI(カール・カナイ)ですね……」
谷宮「そうなんだ??なにそれ? 船の帆みたいなロゴのブランドもあったよね?」
祢津「それNautica(ノーティカ)ですかね」
谷宮「へー詳しいな。象のロゴのブランドもみんな着てたね」
祢津「象……? サイじゃないですかね、ECKO(エコー)ってブランドですよ……」
谷宮「あー・・・そういや、djhonda帽子謎に流行ってたよな 「h」ってやつ」
祢津「ありましたね~。(カタカタ……)うわ、これ100億も売れてますよ!!」
谷宮「え、マジ? やばいね。速攻インタビュー取って」
弊社ではこういう軽いノリからいきなりビジネスっぽい話に切り替わること、まあまああります。着手して実行するスピードが本当に早いです。
ちなみに僕はこのとき、聞き耳をたてつつ巻き込まれないよう、息を潜めて原稿を書いてました。
◇
さて、本題です。
100億はたしかに凄まじいんですが、一握りの成功の陰には無数の屍が転がってるのも事実なんですよね。
そこで、今日はトレンドって何なん……ということを考えつつ、転がってる屍を取り上げてみたいと思います。
クラブハウスは空気読めてなかった
たとえば、クラブハウス(Clubhouse)なんてものがあったのを、皆さん覚えてますでしょうか(意外と評価高いのおもろい)。
2020年4月にリリースされた音声特化型の招待制SNS。
当時、知識人やアーティストほか、スタートアップ企業の経営者のような人たちが多く参加して、コロナ禍の「#STAYHOME」のムーブメントなどに背中を押されるかたちで話題を呼びました。
当時の僕ももちろん存在は知っていましたが、友達が少ないので永遠に招待されず、気になるなぁなんて思っているうちに誰もクラブハウスの話をしなくなったので結局使わずじまいでクラブハウスDT――という経緯があります。
じゃあ一体全体、クラブハウスの失敗は、どこにあるのか。
たぶん大多数の人が、招待制にしたせいで(もちろんそのおかげでプレミアム感がつき、話題になった)世の中に全く広まらなかったことにあると考えるでしょう。
人が集まらないなら、一生懸命話しても仕方ねえと思う人が増え、離れていったと考えるのはすごく当然です。
たしかに利用までの障壁が高すぎて僕は始められませんでしたが、使えていた人まで使わなくなってしまったのにはもう少し別の理由があるように思います。
招待制そのものというよりも、それによってスピーカーに付与された権威性がクラブハウスが躓いた大きな原因ではないでしょうか。
先のインタビューで言えば、「ライフスタイルの変化」を読み違えたということになるのでしょう。
というのも、半クローズドなSNSには確かな需要があります。
特にZ世代を中心に「SNS疲れ」や「コロナ禍で分断されたコミュニケーション欲」は存在しているんです。
Discordのような”同じような趣味趣向を持った人たちの限られたオンラインコミュニティ”が活発であることはその証拠と言っていいでしょう。
僕らは疲れているんですよね。
フォロワー数で比べられたり、いいね数で一喜一憂したり、そういうのにうんざりしてるわけです。
それなのに、クラブハウスは僕らの疲労感に気づかずに”招待制”、つまり限られた人間だけが参加できる特別な空間として登場してしまった。
ジャンクフードでパパっと食事を済ませたい人に、高級フレンチのフルコースを出してるみたいなミスマッチ感がありますね。
◇
とまあ、分析屋を気取りながら偉そうなことを書いてみましたが、起きたことを後から「ああだった」「こうだった」と言うのほど簡単なことはないんですよね。
(厳密には流行とは違いますが)僕もいつか、#MeToo運動を起こしたアメリカのジャーナリストたちのように、世の中を少しだけ動かせるような強い何かを書きたいものです。
世の中に静かに広がっているかたちのない”気分”を読むこと。
そんなアンテナを張って試行錯誤を繰り返していけば、ほんの少しはそういう高みに近づけるのでしょうか。
※余談ですが、今のクラブハウスは招待制じゃなくなっているそう。知ってる人いるのかな…というレベルなので、タイミングって大事ですね。
【付録】まだまだあるよ、微妙に流行らなかったアイツら
おまけで、小梅の独断と偏見による「微妙に流行らなかったアイツら」を載せておきます。
■チーズティー
2018~2019年ごろ、タピオカミルクティーの次のトレンドとして注目されていたドリンク。お茶の上に生クリームベースのチーズフォームをかけたもの。
中国からアジア各国、アメリカで話題となり、日本でも初のチーズティー専門店「FORTUNER tea-box(フォーチュナー ティーボックス)」が原宿にオープンした(現在は閉店)。
これはね、僕はめっちゃ好きでしたね。
裏原の奥のほうに小さなお店があったんですけどね、これを飲むためだけにわざわざ歩いて向かったりしたくらい。
カロリー爆弾すぎて流行らなかったんですかね……?
■マリトッツォ
パンに大量の生クリームを挟んだイタリア発祥のお菓子。フルーツを一緒に挟んでみたり、いくつかのバリエーションがある。
これ、なんか流行ってましたねぇ~。一時期、コンビニとかにも超並んでましたけど、今では何かの陰謀で消されたんじゃないかってくらい見なくなりました。
僕も食べたことはありますが、生クリームを食べると気持ち悪くなるので何が美味しいのかは全く分からなかったですね……。
■チェリーパイ
ティラミスなどと一緒に90年代のスイーツブームで注目を浴びた、チェリーを使ったパイのこと。アメリカの人気ドラマ『ツイン・ピークス』冒頭などでも登場した。
名前は知ってますよ。ほら、『ONE PIECE』でも出てきますし。
ところが実物って見たことないんですよね。だからもちろん食べたこともない。
もはや尾田さんの創作スイーツなんじゃないかと思いたくもなるんですが、ちゃんと実在してるみたいでした。
■三角形のリュック
ランドセルなんてダサいとひねた小学生が代替通学鞄として使いがちだったアイテム。ランドセルからこれに変わると、大人になった気持ちになれた。ちなみに収納力は低め。
これはねぇ、正式名称分からないんですけど、2000年代に小学生だった人あるあるなんじゃないかと思って載せてみます。
家の近くに小学校があるので、朝とかよく通学する一団とすれ違うんですが、このタイプのリュックを背負ってる児童は完全に消滅してますね。
僕は当時、どうしてもこのリュックに変えたくて、ランドセルの破壊を試みたんですけど、ランドセルってマジ丈夫なので投げても引きずっても引っ張っても多少傷つく程度でなかなか壊れないんですよね。
なので無駄にぼろくなったランドセルを背負いながら学校に通っていた悲しい記憶があります。
■MD(ミニディスク)
1992年にソニーが製品化したデジタルオーディオの光ディスク記録方式、および、その媒体。MD専用のウォークマンなどもあったが、2001年にAppleのiPod登場により衰退した。
これは懐かしい。小学生のとき、これでモー娘。とか聴いたり、友達の家でミニモニのダンス練習したりしてました。
調べたら現在もソニーでは製造されているみたいですね(どこに使いどころがあるんだろう……)
■屋内スキー場
80~90年代は空前のスキーブーム。バブル期の定番レジャーとして楽しまれていたそう。
そんな盛り上がりに呼応して生まれたのがこれ。遠出しなくても首都圏でスキーを楽しめるという革新性もあり、大変賑わった。
1987年公開の映画『私をスキーに連れてって』とかの影響なんでしょうか。
ウィンタースポーツって煌びやかな大学生男女のグループがキャッキャしながら楽しむイメージしかないので(偏見)、僕はやったことないんですよね。
そんな感じで僕個人の思い出は一切ないんですが「なんか屍ないかなぁ」ってボヤいていたら教えてくれる親切な人がいたので載せてみました。
調べたら新横浜のあたりには今もあるみたいです。
■汐留のイタリア街
三井物産が主導で汐留シオサイトの西側に設置された文字通りの”イタリア街”。2002年のオープン時こそ話題になり、連日にぎわっていたそうだが、今では半数以上がシャッターを下ろす”シャッター商店街”になっている。
これもボヤいていたら、また別の親切な人が教えてくれた屍です。
有数の企業が並ぶ一等地にありますが、イタリア街のあるエリアまでの導線(アクセス)が悪かったり、コロナの打撃もあったりで、退店が相次いでいるそう。悲しいですね。